研究セキュリティとは? 国際共同研究の開放性と安全保障をどう両立するか
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2026年8月28日付の日本経済新聞に、「科学論文、潜む安保リスク 『懸念ある組織と共著』倍増」という記事が掲載されました。
日本経済新聞が国内主要100の大学・研究機関を調査したところ、安全保障上の懸念があるとされる海外組織との共著論文は、2025年に7,270本となり、10年前の2倍に増えていたと報じられています。懸念組織が所属する国別では中国の組織との共著が6,869本と大半を占めました。
一方、記事では英国のオックスフォード大学や米国のスタンフォード大学など海外の研究大学についても同様の比較が行われています。国際的な研究ネットワークが広がる中、共同研究を安全保障の観点からどのように捉えるかは、日本だけの課題ではありません。
こうした議論の中で、近年よく使われるようになった言葉が「研究セキュリティ」です。
研究セキュリティとは何を意味し、従来の研究インテグリティや安全保障貿易管理とは何が違うのでしょうか。また、国際共同研究を制限する考え方なのでしょうか。本稿では、文部科学省や内閣府、G7、OECDなどの資料をもとに整理します。
研究セキュリティとは何か
文部科学省は2024年12月、「大学等の研究セキュリティ確保に向けた文部科学省関係施策における具体的な取組の方向性」を公表しました。
この中で研究セキュリティは、外国への技術流出などにつながる外部からの不当な影響や干渉のリスクから、研究を守るための取組として整理されています。背景には、研究活動の国際化が進む一方、研究成果や技術、知的財産などが意図しない形で利用されたり、研究活動そのものが外部からの影響を受けたりするリスクへの関心が高まっていることがあります。
ただし、ここで注意したいのは、研究セキュリティが「海外との共同研究を避ける」という考え方ではないことです。
文部科学省は、研究セキュリティの確保は経済安全保障上の要請だけを目的とするものではなく、学問の自由、独立性、開放性、互恵性、透明性といった価値に基づく開かれた研究環境を守り、国際連携を進めるために必要だとしています。
そのため、あらゆるリスクをなくそうとして幅広い研究活動を制限するのではなく、影響の大きい研究やリスクを個別に特定し、必要な範囲で軽減するという考え方が採られています。人種や国籍による差別につながる運用を避けることも明記されています。
研究インテグリティとは何が違う?
研究セキュリティと並んでよく登場するのが「研究インテグリティ」です。
研究インテグリティは、広くは研究活動の健全性や公正性を確保するための考え方です。日本政府は2021年、「研究活動の国際化、オープン化に伴う新たなリスクに対する研究インテグリティの確保に係る対応方針」を決定しました。
この方針では、国際的な研究活動が活発になる中で、研究者が海外の大学や企業などから受けている研究資金、兼職や役職、その他の関係について適切に情報を開示し、大学や研究機関側もその情報をもとにリスクを管理することが求められています。
研究インテグリティが研究活動の透明性や健全性を支える基盤だとすれば、研究セキュリティは、その基盤の上で、研究への不当な影響や干渉、重要な技術や情報の流出といった安全保障上のリスクにも対応するもの、と捉えると分かりやすいでしょう。
OECDも両者を関連する概念として位置づけており、利益相反や責務相反の開示、透明性の確保などは、研究インテグリティだけでなく研究セキュリティを支える取組でもあるとしています。
以前からある安全保障貿易管理とは?
研究に関する安全保障上の管理自体は、最近始まったものではありません。
日本では以前から、外為法などに基づく安全保障貿易管理が行われてきました。軍事転用の可能性がある貨物の輸出や技術の提供について、相手先や用途を確認し、必要に応じて許可を得る仕組みです。
大学や研究機関もその対象であり、海外の研究者への技術提供や国際共同研究が安全保障貿易管理に関係する場合があります。
一方、近年の研究セキュリティでは、こうした法令上の技術管理だけでなく、研究そのものの重要度や機微性、研究体制、共同研究先との関係、データへのアクセスなどを含めてリスクを評価する考え方が強まっています。
文部科学省も、従来の安全保障貿易管理に加えて、経済安全保障上重要な技術の流出を防ぐ必要性が高まっていることを、研究セキュリティ強化の背景として挙げています。
なぜ最近になって注目されるようになったのか
研究セキュリティをめぐる現在の議論が本格化したのは、比較的最近です。
米国では2010年代後半、開かれた基礎研究の仕組みが外国政府などに利用される可能性への懸念が強まりました。2019年にはアメリカ国立科学財団(NSF)が科学技術諮問グループJASONに調査を依頼し、「Fundamental Research Security」という報告書がまとめられています。
興味深いのは、この段階から「研究を閉じるべきか」という単純な議論にはなっていないことです。NSFは現在も、研究セキュリティを強化すると同時に、基礎研究の開放性や国際共同研究を維持することを重要な方針として掲げています。
日本では2021年に、研究活動の国際化に伴う新たなリスクを対象とした研究インテグリティの政府方針が決定されました。
2022年にはG7が「研究セキュリティと研究インテグリティに関するG7共通の価値観と原則(日本語仮訳)」を公表し、OECDも同年に「Integrity and security in the global research ecosystem」を発表しました。研究セキュリティは一部の国だけの問題ではなく、国際的な科学政策の課題として位置づけられるようになります。
日本ではその後、2024年12月に文部科学省が大学等における具体的な取組の方向性を示し、2025年度から一部の研究開発プログラムや研究分野で試行的な取組が始まりました。
さらに2026年3月に閣議決定された第7期科学技術・イノベーション基本計画では、6つの柱の一つとして「科学技術と国家安全保障との有機的連携」が掲げられました。重要技術の流出防止を目的として、研究セキュリティの取組を強化することも明記されています。
この10年ほどで、研究セキュリティは大学や研究機関にとって無視できない研究政策上のテーマになってきたことが分かります。
実際には何を確認するのか
では、研究セキュリティの確保では何を確認するのでしょうか。
文部科学省が示している考え方では、すべての国際共同研究に同じ制限を設けるわけではありません。
まず研究内容や研究体制を確認し、その研究がどの程度重要あるいは機微なものなのか、研究体制にどのようなリスクがあるのかを評価します。そのうえで、リスクが大きいと判断された場合には、研究に参加する人やデータにアクセスできる人を限定する、情報セキュリティ対策を行う、研究データや成果の取扱いを調整するといった対応が考えられています。
ここで重要なのは、国籍など一つの属性だけからリスクを判断するのではなく、研究内容や研究体制を個別に評価するという点です。
これは研究者自身にすべての判断を委ねるという意味でもありません。文部科学省は、研究資金配分機関、大学、研究者が連携してリスクを評価するとともに、大学間で知見を共有する仕組みや相談窓口、研修などを整備する方針を示しています。
開放性と研究セキュリティは両立できるのか
研究セキュリティという言葉からは、研究活動を「閉じる」方向への変化を想像するかもしれません。
しかし、現在の国際的な議論では、開放性とセキュリティのどちらか一方を選ぶという考え方は採られていません。
2022年のG7共通原則では、オープンな共同研究はイノベーションや社会的課題への対応に不可欠である一方、必要に応じて安全保障上のリスクを適切かつ釣り合いのとれた形で軽減する必要があるとされています。2024年にG7がまとめた「G7 Best Practices for Secure and Open Research(安全で開かれた研究のためのベストプラクティス)」でも、開放性とセキュリティは対立するものではなく、互いに支え合うものとして位置づけられています。
OECDも、国家や経済の安全保障を守る一方で、研究の自由、国際的な研究協力、開放性、非差別性を維持することを研究セキュリティ政策の重要な要素としています。
つまり、研究セキュリティの目的は国際共同研究そのものを減らすことではありません。
必要な国際連携を継続するために、どこに具体的なリスクがあるのかを把握し、そのリスクに応じた対応を行うという考え方です。
研究者や大学にとって何が変わる?
研究セキュリティへの対応が進めば、研究者にとっても、共同研究相手や研究資金、海外機関での役職や兼職など、自らの研究活動に関する情報を正確に開示することの重要性はさらに高まるでしょう。
大学や研究機関側には、こうした情報を単に収集するだけではなく、研究内容や研究体制と組み合わせて、どのような場合にリスクへの対応が必要なのかを判断できる体制が求められます。
学術出版との間にも接点があります。著者の所属、研究資金、利益相反など、研究活動の透明性を支える情報の多くは、論文を公表する過程でも扱われています。
ただし、研究セキュリティは出版社だけで完結する問題ではありません。政府、研究資金配分機関、大学・研究機関、研究者など、それぞれが役割を担いながら、研究活動全体として対応していく必要があります。
開かれた研究を続けるために
国際共同研究の拡大と研究セキュリティの強化は、一見すると反対方向の動きに見えます。
しかし、現在の日本政府やG7、OECDの方針を見ると、目指されているのは研究活動を一律に閉じることではありません。
科学の発展には国境を越えた研究協力が欠かせません。一方で、研究の国際化が進めば、それに伴う新しいリスクについて考える必要も生じます。
幅広い研究を制限するのではなく、研究ごとにリスクを見極め、必要な範囲で対応する。そして、学問の自由や開放性を維持しながら国際共同研究を進める。
「研究セキュリティ」という言葉を目にしたときには、安全保障上のリスクへの対応だけでなく、その先にある「安全で開かれた研究環境をどのように維持するか」という課題まで含めて捉えることが重要になりそうです。


