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研究者は英語で論文を書き続ける必要があるのか?―AIが拓く多言語学術出版の可能性

2 日前
読了時間: 6分


研究者が優れた研究成果を生み出す能力と、それを英語で論文にまとめる能力は、必ずしも同じではありません。それにもかかわらず、英語を母語としない研究者は、国際的に成果を発表するために、第二言語で論文を執筆する負担を負っています。


先日、MDPI Japanが研究者の先生方をお招きして開催した「MDPI Tokyo Editors Salon 2026」で、AIと研究公正について意見交換を行った際、複数の先生方から、この問題について興味深い意見をいただきました。


AIによる翻訳が進歩している現在、研究者が母語で論文を書き、読者もそれぞれの母語で読む仕組みを実現できないだろうか、というものです。


本ブログでは以前、「なぜ研究者は英語で論文を書くのか~AI翻訳時代でも英語論文がなくならない理由」という記事で、現在の学術出版において英語が果たしている役割を紹介しました。


今回は視点を変えて、そもそも研究者が英語で論文を書くことを前提としない学術出版は可能なのか、考えてみたいと思います。



AIがもたらす学術出版の二つの未来


この問題を考えるうえで、興味深い論文があります。


2025年6月に『PLOS Biology』に掲載された、Amanoらによる「AI-mediated translation presents two possible futures for academic publishing in a multilingual world」です。


この論文では、AI翻訳の発展によって実現しうる学術出版の未来として、二つのモデルを提示しています。


一つは、英語を国際的な出版言語として維持しながら、AIによって研究者の言語的な負担を軽減するモデルです。研究者は母語で原稿を作成し、AIで英語に翻訳して投稿します。英語を母語としない研究者にとって、論文執筆の負担が軽くなる可能性があります。


もう一つは、英語を唯一の国際的な出版言語とせず、研究者が母語で論文を出版するモデルです。読者や査読者は、AI翻訳を利用して自分が理解できる言語で論文を読みます。


後者では、例えば日本の研究者が日本語で論文を発表し、ドイツの研究者はドイツ語で、中国の研究者は中国語で読むことが考えられます。必ずしも英語を経由する必要はありません。


この二つのモデルには、大きな違いがあります。


前者は現在の英語中心の学術出版を維持しながら、研究者の負担を軽減する方法です。一方、後者は出版言語そのもののあり方を見直す提案です。



多言語出版は言語間の不平等を解消できるのか


英語以外の言語でも国際的に論文を発表できるようになれば、研究者の英語力による不利益を軽減できるかもしれません。


しかし、Amanoらの論文は、多言語出版が新たな不平等を生む可能性についても警告しています。


AI翻訳の精度は、すべての言語で同じではありません。学習に利用できるデータが豊富な言語では比較的高い精度が期待できる一方、データが少ない言語では翻訳の品質が低くなる可能性があります。


その結果、使用する言語によって、研究成果の評価、発見されやすさ、利用されやすさに差が生じるかもしれません。


これは重要な問題です。


現在の英語中心の学術出版では、英語を母語としない研究者が追加的な負担を負っています。しかし、AIによる多言語出版に移行したとしても、今度はAI翻訳の性能によって研究成果の伝わり方が左右される可能性があります。研究者個人の語学力による不平等を解消しようとして、別の言語間格差を生み出してしまうのでは、十分な解決とはいえません。



研究分野によって異なる翻訳の難しさ


AIによる多言語出版の実現可能性は、研究分野によっても異なると考えられます。


例えば、数学や工学では、専門用語が比較的標準化されており、数式や単位、図表などが翻訳の正確性を確認する手がかりになります。医学や生命科学でも、国際的に共通する専門用語や分類体系が整備されています。


ただし、こうした分野でも誤訳の影響は小さくありません。


医学論文では、「統計的に有意な差が認められなかった」という記述を、単に「差がなかった」と翻訳するだけでも、研究結果の意味が変わってしまいます。因果関係や不確実性を表す言葉にも、細心の注意が必要です。


一方、文学や哲学などの人文学分野では、異なる難しさがあります。


例えば、哲学では一つの概念に複数の訳語が存在することがあり、どの訳語を選ぶか自体が哲学的な解釈に関わります。文学研究では、言葉の響きや掛詞、文体など、言語表現そのものが研究対象になることもあります。


こうした場合、自然な翻訳文を作成するだけでは、原文の意味を十分に伝えられない可能性があります。


しかし、だからといって人文学では多言語出版が実現できないとも限りません。


むしろ、翻訳しきれない概念を原語のまま残し、注釈や複数の訳語を提示することで、原文の特徴を保持しながら国際的な読者に届ける方法も考えられます。


研究分野によって、求められる翻訳の品質や検証方法が異なるということでしょう。



AI翻訳の誤りをどう検証するか


AI翻訳には、原文の意味を変えてしまう危険があります。特に注意したいのは、研究者が新しい概念や独自の定義を提示した場合です。AIは既存の大量の文章を学習しているため、未知の表現を、すでによく知られた概念に引き寄せて翻訳してしまう可能性があります。


研究者が新しい考え方を提案しているにもかかわらず、翻訳によって従来の概念に置き換えられてしまえば、研究の独創性が正しく伝わらなくなります。


こうした問題への対応として、複数のAIを利用して翻訳を検証する方法も考えられます。


例えば、異なるAIに独立して翻訳させ、それぞれの訳文を比較し、意味が変わっている可能性のある箇所を別のAIに検出させるという方法です。


ただし、複数のAIが同じ訳を出したからといって、その訳が正しいとは限りません。いずれも既存の学術知識に影響され、同じ誤りを犯す可能性があるためです。


そのため、AIによる検証だけで完結させるのではなく、判断が難しい箇所については原著者に確認できる仕組みが必要でしょう。


また、原文を保存し、読者が翻訳文と照合できるようにすることも重要です。翻訳文を唯一の正しい表現として扱うのではなく、必要に応じて原文に立ち戻れるようにするという考え方です。



英語を共通語としない学術出版に向けて


現在、英語は国際的な研究コミュニケーションにおいて重要な役割を果たしています。異なる国や地域の研究者が共通の言語で議論できることには、明確な利点があります。


しかし、国際的な研究交流に共通言語が必要であることと、すべての研究者がその言語で論文を執筆しなければならないことは、必ずしも同じではありません。


AI翻訳が十分に発達すれば、研究者は母語で論文を書き、読者は自分が理解できる言語で研究成果にアクセスするという仕組みが、現実的な選択肢になるかもしれません。


そのためには、翻訳の正確性を検証する技術だけでなく、査読の方法、翻訳に関する責任の所在、原文と翻訳文の管理、研究成果の検索や引用の仕組みなど、学術出版全体で検討すべき課題があります。


AIによって英語論文の執筆を支援することは、すでに現実のものとなっています。しかし、研究者が英語で論文を書く必要性そのものを減らすことができるのかという問いには、まだ十分な答えが出ていません。


研究能力と外国語能力をどこまで切り離して考えられるのか。そして、研究者個人が担ってきた言語的な負担を、出版社や学術情報基盤がどこまで引き受けられるのか。


AIの進歩は、これまで当然と考えられてきた学術出版の前提を、改めて問い直す機会をもたらしているのではないでしょうか。


参考文献

Amano, T., Bowker, L., & Burton-Jones, A. (2025). AI-mediated translation presents two possible futures for academic publishing in a multilingual world. PLOS Biology. https://doi.org/10.1371/journal.pbio.3003215



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